外部他人依存から脱却、自分依存の生き方へ



私は、海外に移住する、海外に住む体験をする、ということを推奨しています。若い方々に対しては特に。ワーキングホリデーなどの制度も活用して欲しいものです。

そんな中で気づくであろうことは、

日本の中で常識とされていることの多くが「日本独自の洗脳」であること

すでに海外在住で、現地人の中に暮らしてるような人はわかる感覚と思うのですが、海外では「自分の意見をきちっと持っている」「自分の意見がきちんと言える」ということが、ごく当たり前。

少なくとも自分のいる国、過去住んだ国でもそうだったことは自分が体験しています。また他国にいる方からの感想も聞いたりしてますし、お隣韓国の友人もそんな感じです。

「人間らしい生活・人生」を送る上で、自分の意見や主張を持つことは、日本の外ではごく当たり前であり、自然なこととなっています。

にもかかわらず。

日本では自分の意見を持つこと、自己主張をすることは善とされない風潮・文化があります。

それどころか、自分を押し殺してまで周りや集団に合わせることが善とされ、強制される環境。

よって、「自分を持つ」ではなく、「その他大勢・多数に従う」ことがスタンダードになってしまってます。自分がどうこうよりも、周りに合わせることが重要。

だからこそ、そんな文化の中では、自分の意見・考えを持つことが奪われ、自分がなくなってしまいます。

加えて、日本は他者外部依存文化でもあります。「自分はどうしたいのか?」という部分が欠けていることと合わせて、大事な判断さえも、自分の頭で考えるのではなく、他者に任せてしまうことが非常によく見られます。

自分の意見と思ってることが実は、自分独自の意見ではなく、世論やマスコミ論調、または権威が展開していることにしか過ぎなかったりすることも多いです。

ちょっとでも異を唱えると、それに対する問いかけが自分自身に向くのではなく、他者(他人)に向く。

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たとえば「私はどうしたらいいのですか?」という質問を私は幾度となく浴びてきました。

それも普段のささいな状況の中でもささいなことならいいとして、命に関わるような状況においても、そんな感じの人が、まだまだ圧倒的に多い。

たとえば放射能からの避難のトピックとしましょう。

「そんな避難と言われても、仕事はどうするのですか?」
「移った先で仕事が見つかる保証もないのに、面倒みてくれるんですか?」
「TVではそんなこと言ってないけど、違ったら責任取ってくれるんですか?」
「お金がない人は、どうすればいいのですか?」

これらは、他者外部に依存することを前提にされている質問。
自分で思考する代わりに、他者に答えを求めてしまってるんですね。

これらの質問の、何がおかしいかがわからなかったら、それは日本という箱の中でどっぷり洗脳されている証拠です。

なぜなら・・・

自分がどうしたいのかは自分で考えて判断し、自分の意見と主張を持つ

これが、日本の外における標準の感覚だからです。

洗脳されていると気がつけませんが、他人や外部に重大な決断を委ねてしまうことって、「自分で考えることを拒否している」「自分で考えたくないことの表れ」。

では、自分で考えて決断できる人、他者依存ではない自分に軸を置いている人はどうなるか。

周囲や他者ではなく、自身に問いかけ、自分独自の答えを求める

ことをします。

「どのくらい危険なのか情報収集しよう」
「移住先で仕事があるかわからないけど、探してみるしかない」
「お金がない今は難しいけれど、どう実現すべきか考えよう」

これらはあくまで例ですが、要は「自分の行動に関して他人への問いかける」ではなく、「自分に対する問いかけ」「自己判断」となります。

要は、生命に関わるようなレベルの重要な状況において、

「自分はどうしたらいいのですか?」
「自分はどうすればいいんですか?」

などと、他人に「自分の行方」「自分の人生に関する判断」を委ねません。

(質問や相談はするでしょう。が、自分の動向を、他者に全依存しません)。

「自分を持つ」

「あなたはどうしたいの?」
「あなたは何がいいの?」
「あなたは何がしたいの?」

海外では、自分の意見が求められます。

これは英語習得で海外にホームステイした方、住んだ方などが経験されてるかもしれません。特に英語留学として英語圏であるなら、「自分はどう思うのか」「自分はどうしたいのか」という自分を問われることは必ずあることでしょう。

ここでもフィリピンでも英国・米国でもそうですし、世界的だと思います。

しかし、前に書いたよう、日本はそうではない。自分に関する主張が善とされていないから。

簡単なたとえをすれば、日本では

「出る杭は打たれる」

ですが、海外では、

「出ない杭は生きていけない」

こんな感じになることでしょう。

残念ながら「自分がない」「自分の意見・考えがない」という悪しき風潮が、国際舞台では自らの足を引っ張る元となってしまいます。

もともと島国で農耕文化だったゆえ、自分を持たなくとも群れて皆と同じでいれば問題なかった背景は大きいと思います。そこが他国と違うところで。

「日本で住むんだからいい、何が問題なのか?」という人もいるかもしれません。もちろん、そのまま平和ならば何の問題もないです。

けれど今は、放射能はばら撒かれ、TPP決められ、増税も決められ、次々に国による棄民政策がされてます

今のこの状態、自分がない状態で、生き抜いていくことはできないレベルにまで達し始めています。

外から肉食獣がウヨウヨ湧いてきて、今にも食いつこうとしているのが今。もう食いつかれ始めているかな。

「自分はどう思うのか」「自分の主張ができるかどうか」が、自分や家族や、そして国の存続にかかってくることになります。

大げさに言ってるわけでも、煽ってるわけでもないです。今後訪れる厳しい現実とともに「変わらなければ生き残れない」ことが、ますます明らかになるでしょう。

日本の国民は長い間、「おとなしく従う羊」にされてきました。このままでいると、ますます政府・国の横暴が進んでいきます。

その時に国民が「自分がない」「他者に委ねてるだけ」では、横暴を止めることも、ましてや国を変えることなどできないでしょう。

日本式の洗脳は、「生き抜いていく」点において危険な側面がある。

だからこそ自殺が減らないし、絶望を感じたらそれを自分の生きる権利として政府等にぶつけるのではなく(抗議・暴動など)、内方向に向いて自分を抹消してしまう。

自殺もそうだし、止まらない過労死もそうだし、その意味では特に、日本社会におけるくだらない日本式洗脳の犠牲になって欲しくないんです。

以上に書いてきた背景から、特に若者にはぜひ海外に出るという経験をして欲しいと思うのです。

もちろん、他国だって問題がないわけじゃないです。けれど、自分の意見を持つことや、自己の主張もできないような日本式洗脳の文化・風潮は存在しません。自己主張するのです。

問題があっても、声を上げていける環境なんです。

仕事に関しても、日本では「仕事のための人生」となってしまっています。本来は「生きるための手段の一部が仕事」なんですよ。これも海外出るとわかります。

今年、この2012年でさえいまだに、「新入社員は朝6時出勤、23退社」を強要してる会社が実際に存在するということを教えてもらいました。

会社に仕える奴隷状態です。これは異常なんですよ。

「それが普通」であるかのような洗脳にはまってしまうからこそ、「過労死」「自殺」という方向に走ってしまうし、その流れが止まらない。

「それはおかしいことなんだ」って気づいて、声を上げるのが本来であり、気づいていける環境が必要なんです。非道・無謀なことにはNOを示さないとだめなんです。

こちらのニュースには、それがよく表れています。

インドネシアから来日した看護師たち すでに6割以上が帰国

もともと看護師をしていたスウォト君は、日本のアニメ「NARUTO」の大ファンだった。憧れの国で働けるチャンスがあると知り、日本行きを希望した。その理由を当時、彼はこう語っていた。

「第1は、お金のため。日本では最低でも月1000万ルピア(約9万円)を稼ぎたい」

その夢は簡単に叶った。日本で働き始めると、月16万円以上の収入が得られたのだ。インドネシアにいた頃の月収1万円とは大違いである。

今年1月の国家試験は不合格だった。それでも規定の点数を獲ったことで、来年に再チャレンジする権利を得た。しかし、スウォト君は仕事を辞め、6月に帰国していく。

「仕事に疲れました……」

インドネシアにはフィアンセがいるが、仕事の当てはない。日本に残れば、最低でも1年は仕事を続けられる。しかも国家試験に合格すれば彼女を呼び寄せ、日本で永住することも可能なのだ。

「いや、もう日本はいいです。お金がすべてじゃないでしょ?」

たとえ16倍の月給をもらったとしても、できないことはできないと、きちんとNOを示すんですよ。それも6割以上という人数で。

日本は16倍どころか、2倍どころか、増額もない状態で、同じ状態を強要されてるわけ。自己犠牲の元に、自分を安売りすることが当然の環境。

もちろん「そんな要求したら仕事を失ってしまう」という気持ちはわかります。けれどでは、このインドネシア人たちのように、6割などが拒否をしたら?

人手不足の問題はあるでしょうが、それだけの割合で人手確保できないなら、雇う側も、それでは成り立たなくなるので、改善せざるを得なくなります。

皆が、自分の意志に基づいて、無理なことに対しては拒否をすることが、どれだけ大事なのか、ということを実感させられるような記事でした。

これが、一般的な海外の感覚なんです。

たとえこのように大金とも呼べるような報酬が得られる状態であっても、多くは自分を犠牲にしてまで無理をしないのです。(外資金融やコンサル等、一部例外はあるけど)

ましてや日本のように、給料増額もない状態では、ほぼすべてが拒否することでしょう。が、日本人は受け入れてしまう。それは日本式洗脳がそこにあるから。

脱・日本の常識は・・・・・脱・洗脳。

それに気づくためには、やはり海外に出ることだと私は思っています。

同時にこれは、私の経験談でもあります。私自身も日本で苦しい思いをしてきました。海外に出て、気づいたのです。

日本でいかにおかしいことを強要されていたのか、ということを。

日本は本来素晴らしい面をたくさん持っています。いたわりやかゆいところに手が届く文化、素晴らしい食文化、温泉や祭りなどの文化。察する文化。

それにも関わらず、日本で幸せを感じられない人が増えているのはなぜ?

「完璧を求め過ぎ」であり「いきすぎ」「やりすぎ」なのです。そこに加えて、上に書いてきたような、「他者外部依存」や「自己犠牲」。そこに加えて、それが善とされ、自分の意見や主張を持つことが悪とされている。

これでは幸せになれないわけです。人は皆、1人の人間として生きているのだから。ロボットとして会社や国のために生きてるのではありません。

気づくためにも、脱日本式洗脳のためにも、海外に出ることを管理人は強く推奨しています。

そしてまた日本に戻るなら戻るで、戻ればいい。

その時には、大事な何かを学んでいるはずですから。

それは、上に書いたような日本の素晴らしい面も含まれているでしょうし、同時に、他国における文化や標準の感覚、日本ならではの洗脳も含まれてることでしょう。

少なくとも、「外から」という客観的な立場で経験を積めます。そして、皆がそろって同じ紺色のリクルートスーツ来て活動することの異常性に気がつきます。

管理人は、人は「自己の自立(精神的・物理的)があってこそ、他者に手を差し伸べることも助けることもできる」と考えています。

個として自立していないのに、他者を必要とする行為は、助け合いではなく共依存。共に依存することで安心し、支配している(されている)ことで満たされる現象。

だからこそ、「ムラ社会」「村八分」という現象が発生する。

「個人の幸せ」を考えられる人であれば、「あなたが幸せであることが私の幸せ」という、利他思想にいきつくことができます。これこそが、幸せの究極の形。

「私がそうなのだから、あなたもそうしなさい」「あなたがそうしてるのだから、私もそうしよう」は、助け合いでもなんでもありません。共依存です。

日本の会社に例えてみればわかるでしょう。「社員の幸せが会社の幸せ」と地で本音で実践してる会社が、日本には果たしてどれくらいありますか?

それよりもむしろ、上記赤字のような体質がほとんどではないでしょうか?「ここではこうなってるのだからこうしろ」等々。個人を尊重する会社なんてほぼ皆無では?

今日見たツイートがあるけれど、「自分の意見を述べたら、上司がその上の上司に呼び出され厳重注意を受けた」と。本来&海外では当たり前のことをすると、日本では抑圧されてしまうのです。これではよくしていくことなんてできませんよ。

残念ながら日本の企業はますます衰退の一途をたどるでしょう。改革でもされない限り。そして再び上昇を目指すはいいが、見当違いなものばかり作り上げていく。

誰もそんなものは求めてない!スマホ機能付き洗濯機とか、ナノイオンを発するTVとか…

「長時間労働」=「仕事熱心」というのも、甚だしい勘違いです。仕事のできる人は、ちゃんと締切に間に合わせようとします。終業時間は、締切時間。

それさえも守れずに、ダラダラと長時間働くというのは、これも世界視点で見れば、「時間を守れない、仕事のできない人」となるわけです。

これも日本式洗脳から来るもの。

繁忙期や業務が集中した、トラブル発生など何か理由がない限り、仕事のできる人ほど残業しない。「締切(終業時間)に間に合わせるよう効率的に働く」ので。

「残業ばかりしている=仕事管理もロクにできない」ということ。「仕事熱心」の逆、仕事ができない証拠。それなのにそれとは逆の洗脳が日本でははびこってる。

そして「皆がそうである」を強要されて。

「皆と同じでいたい」または「皆と同じでいなければいけない」、すなわち人間として本来当たり前の、自己の自立がありません。軸がからっぽなんです。

この苦境の今を変えるには、この国を変えるためには、上に書いてきたことに気づくことから始まる、というのが管理人の考えです。

「皆と同じでいよう」という生ぬるいレベルはもう通じないのです。

意識改革なく、自分を変えることはできない。自分を変えることなく、行動を変えることはできない。行動を変えることなく、今の状況や国を変えることもできない。

立たされてる状況や危機を乗り越えるために、今こそ、自己自立が必要。

空気を読むということは素晴らしい日本の文化の1つではありますが、今の現象は、空気読むじゃなくって、呼吸過多なんだろうと。

幸せになっていき、平和になるなら、それほどよいことはないですが、ハッキリ言って「空気」によって悪い方向に進んでますよね。望む行動さえできないなど。

空気、飲み込んじゃだめです。

軸は自分にあります。自分を信じましょう。

そして、自分をいたわって、自分を大切にしよう。

日本式洗脳によって、会社や国に仕えるロボットにならないために。

そして「他者外部依存」で行き先が見えなくなることのないように、自分独自の目を持とう。共依存を助け合いと勘違いしてはいけない。それは足の引っ張り合い。

答えは他人にではなく、自分自身に求めよう。

  • ●日本人だけど、日本のここが嫌い●163ヶ所目 | エコ速 - 2chまとめブログ
    03/10/2016 at 17:35

    […] 21:39:34.22 ID:x5sAyL6N 外部他者依存から脱却、自分依存の生き方へ http://sekaitabi.com/codependence.html 続「すべて丸投げ」の脱却と、皆が気づかない洗脳電波 […]