「自身の在り方」「自身の実力行使」を無視した「皆」への責任転嫁



Facebookでこういったポストを見つけて、思わず長いコメントを書いてしまいました。

とみさんからアベシさんへの質問、が、刺さる、件。

Posted by Kitagawa Takashi on Friday, 25 December 2015

 

私のコメントがこちら。

私はこれとはちょっと違う考えを持っていて…。

酷いことばかりする政府や安倍政権に怒りを持っているのは私も同じなのだけど、

そして怒るというのは感情を持つ人間として時に必要なことではあるけれど、

怒りをぶつけてるだけで、自分発の源を絶とうとしない人が多過ぎるなと。。

怒りながら、受信料や新聞代や税金を払って権力を支えている。
怒りながら、決してTVを見ることを止めない。

実行や行動を伴わずに怒りをぶつけてるだけで変わるなら、すでにとっくに変わってるはず

心底から怒っているのなら、首都圏を捨てる、国を捨てるレベルの覚悟・行動が必要なのに

多くの人が、移住どころか、TV1つ捨てることができない現実。

支えながら、怒っている。

怒りながら、支えている。

怒るよりも、「断ち切る」という実力行使が、もっと大事。

怒ることが大事として。

怒ったところで、では「戦略」としてどう止める?皆が怒れば誰かが止めてくれる?いや「断ち切るという実力行使」をして止めるのは各人じゃないの?…と。

皆で怒っても、国民がお金でシステムを支えている限り、政府の横暴は止まらないし、横暴を止めたいなら戦略が必要だと思います。

「断ち切る実力行使」から目を背けさせるために、怒り(ガス抜き)へ誘導してる存在がいるとさえ感じます。

怒った上で、首都圏脱出とか国外脱出とか、TV新聞不買、電力不買、メガバンク引き出し等の実力行使をするのなら、戦略としても実力行使としても意義があるしわかります。

けれど、怒って文句を言いながら、自身は何も変わろうとしない。生活を変えることも、移住することもない。放射能にしても、怒るけれど、逃げるという実力行使をしない。

結局、怒るというガス抜きにされて終わってるこれまで。「怒ってスカッとした」って書いてる人がいるけど、所以ガス抜きであり。

戦略も実力行使もなしで、皆で怒れば騒げばなんとかなる…というのは竹槍で突っ込めばなんとかなる精神の根性論と同じかと。精神論が強すぎて、戦略という価値観に乏しい…。

「皆はなぜ怒らないのか」というのも、怒るのが正しい・皆がそうであるべき、という押し付けの全体主義的なものを感じます。

「皆」じゃなくて「自分の在り方がどうあるか」「自分は何の実力行使をするのか」なのですが。

「皆」に責任転嫁する人ほど、自分ができる実力行使をしてない傾向があるのもわかりました。「皆」に責任転嫁するということはすなわち、他者外部依存なのです。

皆が怒ればどうにかなると思ってる…(-_-;)

すなわち「自身が変えるという意識」と「戦略」の存在ない精神論。「いつも同じことが繰り返されている失敗」から学ばなければいけないのは国民の方。

自分が動かず、実力行使せず、戦略を立てず、他者外部依存姿勢で「皆」に責任転嫁したって何も変わりません。

被害者意識を持った被害者の位置に座ることは楽です。なんせ自分に責任があると思わなくていい。なんでもかんでも与えられるという姿勢でいればいい。誰かが悪い、その他大勢が悪い、としていればいい。

何かの被害者でいれば、本来は自分に自由意志も選択権も実力行使する権利もあるのに、そこから目をそらしていられる。

私は前回の記事にも書いたよう、戦略や実力行使を伴わない怒りの憎悪の世界はもう懲り懲りです。怒りは静かに持ちながらも、憎悪に振り回されず、実際の実力行使をします。国外脱出です。

安倍政権が日本の国民のための政治をしないことはすでに明らかになってます。それに対して「では自分はどう変わるか」を考えなくてはなりません。「皆」ではない。「自分」です。