システム依存からの脱却 個の生存を考える時

スポンサードリンク



日本を良く変えるための決定打・・・

それは、大量に日本から脱出することです。「決定打」としては、もうこれしかありません。

「政治で日本を良く変えていくことができる」というのは、偽の希望を持たされているからに過ぎません。政治は官僚やその上の米国、戦争屋財閥、金融勢力に牛耳られているのであり、日本の国民に真の主権はありません。

日本では、主権は国民にはなく、官僚とそれらを操る勢力による独裁国家です。選挙は、偽の希望を持たせるための、国民や他人のせいにするためのシステムなのです。

そもそも、選挙制度自体がまともに機能してないのです。過去に一票の格差について最高裁が「違憲状態」との判断を示したにも関わらず、選挙無効にされることもありませんでした。また1位以外が「死票」となる小選挙区制が存在する限り本当の民意も正しく反映されません。加えて、数々の不正選挙疑惑が裏付けられる事象も出てきています(過去報道された分も含み)。

自身が変わることなく、しがみ続けていれば、また同じ結果を産むだけです。

私の夫はニュージーランド人ですが、過去NZでは、大量の若者がNZから脱出したことで、NZ社会が良く変わった実績があります。私の夫も、この「若者の大量脱出」の1人に含まれています。

以下、NZ在住のイギリス人投資家、ガメさんという方のツイッターからいくつか転載します。

日本で納税をして預金をする・・・怪獣に自ら餌を与えて増大化させている皮肉。

日本人を苦しめることばかり続けるのであれば、そんな奴らには三行半を突きつけるのが唯一の最善策。三行半を突きつけ、潔く去り、餌を与えずに悪政を敷く連中を滅ぼしてしまうのです。

それは悪政を滅ぼすだけのメリットではないです。

流通や瓦礫拡散も含めて放射能の懸念や汚染からも逃れることができます。また理不尽で非人道的な、社畜文化からも逃れることができます(ただし海外の社畜式日本企業に注意)。また、何十にも重なるぼったくり課税システムから逃れることもできます。また、日本の外という場で新しい世界や価値観や視野、人生観を学ぶことができ、自分を成長させることもできます。

そのようなポジティブな理由だけではなく、このまま日本にいることで、徴兵制が敷かれてしまったら参戦させられることになりかねません。

特に若者は、今こそ日本の外へ出る時でしょう。腐敗システムの犠牲にならないよう、そのシステムから自ら降りてしまうのです。「こちらからまっぴらごめんだお断り」なわけです。

特に今の若者は、無責任な逃げ切り爺世代の犠牲を背負ってしまう世代でもあります。今こそ決断の時。若くなければできないわけではないけど、年を取るとだんだんと難しくなってきます。

日本の政治にも日本社会にも期待も依存もしないで、世界の中で確固たる独自の歩みを重ねていくべきと思います。

世代がまるごと交代するか、腐敗したシステムを一旦壊すことくらいでしか変えることはできないくらい、日本の病巣は深いと思ってます。

政治家の誰1人も特別会計の闇に触れることもなければ(石井紘基議員が忍ばれます)、米国債売却に触れることもありません。そこにメスを入れれば消費税を上げる必要はないわけです。

そんな、シロアリが食い尽くしてるような病巣と茶番システムの中、今の日本が良く変わるには、若者が日本から大量脱出することくらいしか方法がないと思ってます。

そして広い世界観や経験をつけて、後年にまた日本に戻ってくるならば戻ってくればいい。その頃には「無責任爺世代」もいなくなり、その頃には(願わくば)既存の古い犠牲システムも壊れており、新しい日本にできる意味でも。

それは、日本の腐ったシステムを、根底から壊し、新しい良い日本を建て直していくことに繋がることに間違いないでしょう。

「日本脱出?それはどうしてもできない」…それならば?

もちろん、日本を脱出して海外で生きるなど、言うほど簡単なことではありません。それでも実行する人々もいれば、逆にそれを承知でも、どうしても諸事情でできない人々もいるでしょう。

そんな場合はどうしたらいいか?

できるだけ中央資本・・・経済システムに依存しない、経済システムから脱却した生活を心がけるべきでしょう。「生き方」を見つめ直して、「生き方」を変えるのです。

そして・・・「個」の生存を考えることに集中するべきです。「個」とは、政府や社会と切り離した自分自身や家族や地域の繋がりを指します。

社会が幸せだから「個」が幸せになるのではなく、「個」が幸せになることで、社会が幸せになっていくのです。

仮にハイパーインフレで紙幣が紙屑になったとしても、食いつないで生きていけるような生き方へのシフト。自給自足に近い生活へのシフト。

ソ連が崩壊した時には、人々はそのようにして命を繋ぎました。

「里山資本主義」という言葉を目にしました。

人間の価値をも金に換算するマネー資本主義から脱却して、自然と共に生きる本当の「豊かな暮らし」を勝ち取ろう!というコンセプトのようです。

私の言う「経済システムに依存しない生き方」は、まさにそんな生き方を示しています。

「里山資本主義」のススメ〜マネーに接収されないもう1つの生き方

地域エコノミストの藻谷浩介氏とNHK広島放送局取材班が番組づくりから書籍化したもので、「里山資本主義」という言葉の生みの親は、取材班の井上恭介プロデューサーだ。きっかけは、おカネを回して拡大、成長することでしか幸せになれないというアメリカ発の常識に世界が覆われていくことに疑問を持ったことだという。

戦後70年、私たちが追い求めてきた豊かさとは、おカネを稼いでモノに囲まれることだった。そうした暮らしは水や食糧、エネルギーという生存に必要な物資を生産地から中央の消費地へ間断なく送ることを前提した巨大なシステムの上に成り立っており、足元のシステムが破綻すれば食糧も電気も届かなくなる、脆弱さを抱えた暮らしだった。

海外から運ばれてくる食糧やエネルギーに頼っている不確かさ・・・・この、多くの日本人が無意識に抱いていた不安や危うさを、東日本大震災が目に見えるものにした。いくら手元におカネがあっても、いざとなったら何の助けにもならないことが実証されたからだ。

井上氏は、これまで捨ててきた、おカネに換算できない自然や人間的な絆といった価値を有効利用していけば、もっと豊かに暮らすことができると言う。

山あいの農村に暮らす人は、ちょっと歩けばたきぎの4~5本は拾える。過疎地の島に住む人は、ちょっと釣り糸を垂れれば、家族の夕食の食卓を飾る魚の数尾くらい釣れるかもしれない。

そうした自然の恵みを享受する暮らしは、おカネの循環が全てを決する前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムでは「ちゃんとした経済」に入れてはいけないと思われてきた。それに異を唱え、おカネに依存しない経済システムを大事にしようというのが「里山資本主義」という考え方である。

日本から脱出するという生き方・・・

日本に残りながらも、経済システムに依存しない生き方・・・

このどちらをとっても、「敷かれたシステムから降りる」という意味での実力行使的な行動となり、それは投票よりも重みのある、日本を変えるための大事な行動となることでしょう。

 

スポンサードリンク

 

スポンサードリンク