原発銀座の福井で1948年に発生したM7.1福井大震災(写真・動画あり)



高浜原発も含め福井県には原発が複数あり、原発銀座と化してしまっています。まだ原発が建設される前に、福井では福井地震、福井震災とも呼ばれている巨大地震が起こっています。

1948年に起こった地震で私もまだ生まれていない時ですが、福井に訪れた時に耳にしたため、福井地震のことは知っていました。M7.1という大きな地震。写真を見るだけでその凄まじさがわかります。

1948年 福井地震(M7.1) 6月28日 午後16時13分頃発生

福井地震災害の特徴

福井県坂井郡丸岡町付近を震源とする直下型の断層型地震。主として九頭竜川沖積層地帯に甚大なる被害をもたらした。

福井平野部で全壊率が60%を超えるなど被害は甚大であった。特に、福井市・丸岡町・金津町では火災も発生し被害を拡大させた。

福井地震の特徴は、直下型だけに振動が非常に激しかったこと、福井平野周辺の限られた範囲における被害が甚大であったこと、が挙げられる。

この地震を期に気象庁震度階級に震度7が作られた。死者数の分布は都市に集中している。農村地区が100%全壊地区が多い割には死亡者数が比較的少なかったのは、農作業で外に出ている人の割合が多かったせいといわれている。

そのころの福井市は戦災復興の最中であり、まだバラック建てが多く不安定な構造であったことが全壊率の高さにつながっている。しかしながら市内の全壊率の分布を見ると、中心部から離れるに従って高くなっている。全壊率は地震動の大きさが要因であり、直接密集度とは関わりが少ない。

密集地区ではむしろ火災による被害が大きかった。焼失区域は町中央部であり、全壊率は50~60%程度であったと思われる。

出火件数は福井市内で24カ所とされている。大きく拡大したものは国際劇場付近ほか中心部の7カ所から出火した炎であった。この火災は丸1日たってようやく鎮火したが、全地域の完全消火には5日間かかった。地震火災の特徴である同時多発火災・道路障害・水道の破損などの理由で、消防活動が十分になされなかったことが大火災になった。

空襲の被害も甚大でした。

第二次世界大戦、戦時中の昭和20年(1945)7月19日。夜10時頃にB29爆撃機127機の編隊が福井市に来襲しました。

まず市外周部に照明弾を投下し、徐々に中心市街地、福井城址北西付近を中心に半径1.2キロメートルの範囲をめがけて、81分間の集中的な爆撃で、約9,500発、865トンもの焼夷弾が落とされました。全国最大の被災率といわれ、95%が市街焼失(2万戸以上)し、 9万人以上の市民が罹災。死者数は1500人をこえる被害となりました。

福井市内は一面の焼け野原となり、防空壕に避難していた人々は熱気で蒸焼きとなり、水を求め福井城の堀や足羽川に飛び込んだ人々は折り重なって亡くなられた言われています。 「お堀の灯り」は、福井空襲や震災などで亡くなられた方々の鎮魂の意味が込められています。

福井地震の写真

日本地震学会広報誌より

fukuiquake

(損壊した大和百貨店(福井市)。1階が潰れ、各階の梁が著しく破壊し、また火災による被害も受けた。小林啓美氏(東京工業大学名誉教授撮影・提供。)

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(石垣が崩れたために潰れた当時の国宝・丸岡城天守閣(坂井郡丸岡町)。後年再建され、現在は重要文化財。小林啓美氏撮影・提供)

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(部分的に倒壊した木造小学校校舎(坂井郡)。小林啓美氏撮影・提供)

戦災被災地区と同じ地区で大規模の地震被害が重なったそうです。

福井大震災(大地震)の動画

高浜原発が再稼働されてしまいました。20万倍の危険があるMOX燃料によるプルサーマル発電の原発です。恐ろし過ぎて震えます。

過去に福井でこのような地震が起こっているのだから、今後も起こる可能性は非常に現実的です。前記事にもまとめたよう兵庫県篠山市においては住民にヨウ素が配布されました。

今から再稼働するなど狂気の沙汰です。狂気の沙汰の金次第を地でいっている…。この国は、またしても福島第一原発事故の二の舞を繰り返そうとしているようです。