チェルノブイリにおける、乳児への影響-調査とデータ



前回、前々回からの続きです。

チェルノブイリは終わってない-旧ソ連、欧州・北欧各国での被害

チェルノブイリ作業員の健康被害と目への影響-日本も?

第3章 乳児死亡

転載を続けます。原発の危険から子どもを守る北陸医師の会

1900年代は乳児死亡率が徐々に低下していた。これには多くの要因があるが、おもなものは医療の進歩、予防接種、居住環境の改善などである。

どの国も乳児死亡率の改善のために細かな配慮がなされ、効果的な保健政策の証(あかし)として死亡率の低下を誇らかに公表している。したがって、たくさんの国々が乳児死亡率の正確なデ-タを数十年分も保有している。

大気圏核実験がおこなわれていた頃から、乳児死亡率が放射線活性に左右されることが知られている。したがって、乳児死亡率がチェリノブイリの近辺のみならずもっと遠くヨ-ロッパでも高くなったという多くの研究があっても驚くに当たらない。

このことはいくつかの雑誌で報告されているが、教科書ではいまだ掲載はない。

チェリノブイリ地域

原子炉事故の翌年1987年、ウクライナとベラル-シのチェリノブイリ周辺地域で死産や周産期死亡が増加した。

アルフレ-ト・ケルブラインはこれがセシウムに被ばくしたことと関連性があるだろうと考えた。1989年以降ベラル-シとウクライナでは周産期死亡率が再び増加している。この二つ目の増加は、妊婦がストロンチウムに被ばくしたことと関連性があると思われる54)。

ウクライナではセシウムよりもストロンチウムの影響が大きい。ウクライナの3つの地域(ジト-ムィル、キエフ郊外、キエフ市)だけで、周産期死亡の実際数は通常の予想数より増えていた。

1987年はおもにセシウムで予想よりも151人多い新生児が死亡し、1988年から1991年はストロンチウムにより712人の新生児が過剰に死亡した。すなわち、チェリノブイリ事故のあとにセシウムとストロンチウムの影響で計863人の過剰な周産期死亡があったということである55)。

別の研究によれば、チェリノブイリ原子炉に近い2つの高濃度汚染地域で、周産期死亡やその他の不遇な出産が増えたと報告されている56)。

1987年ベラル-シの高濃度汚染ホメリ(ゴメリ)地域では他の地域よりも周産期死亡が増加していた(ただし有意差はない)57)。

しかしA・ケルブラインは1990年代前半にホメリ地域ではベラル-シの農村地帯よりも周産期死亡率が30%高かったことに注目した。これは思春期に多くのストロンチウムを吸収したことによる遅発影響かもしれないと考えた。

1987年から1998年にホメリ地域で死亡した子どもの数は、対照地域のデ-タをもとに算出した予測数よりも431人多かった58)。

放射性セシウムの影響があったのはおもに1987年までだが、ストロンチウムの影響は1998年の調査期間の終わりまで続いていた。1988年以後の新生児過剰死亡率は1987年の10倍以上である。

ベラル-シ政府の推定線量値はストロンチウムがセシウムのたった約5%しかない。しかし、ケルブラインの計算では現在の推定線量値と少なくとも2桁も違っている。

この相違を説明できるとすれば、現在容認されている線量係数がストロンチウムの影響を非常に過小評価しているということである。ケルブラインによるこれらのデ-タは、1950年代と1960年代の大気圏核実験後にドイツでみられた周産期死亡の増加とも一致する。

ドイツ

1896年のベルリンでは、1985年と比べて乳児死亡率が1,000人当たり10.6人から12.5人へと増加した。非ドイツ系の乳児ではその死亡率はさらに増え、1,000人あたり9.6人から14.3人となった。生後1週以内の死亡を除いたとしても、乳児死亡率は26%増加した。なお、それ以前には乳児死亡率は年々減少していた59)。

ブレ-メンの物理学教授イェンス・シェ-ア-のもとで仕事をしていたM.シュミットと H.ツィッゲル、G.リュ-ニンの3名は、生後1週間の新生児死亡率を1975年から事故翌年の1987年まで調査した60)。

この新生児死亡率は1986年春まではドイツ連邦共和国(西ドイツ)全体で減少していたのに、チェリノブイリの事故後に変化が起こり始めた。

西ドイツの南部、バイエルン州とバ-デン・ヴュルテンベルク州では放射線汚染度がもっとも高く、汚染の少なかった北部に比べて新生児死亡の報告がとても多かった。

しかし、その差異には大気圏核実験の放射性降下物による乳児死亡率の既存の変化が考慮されていなかった。

(訳注:核実験のために乳児死亡率が増えていたところに、さらにチェルノブイリ事故でもっと増えた。この核実験によるもともとの増加分が入っていないという意味と思われる)
            
アルフレ-ト・ケルブラインとヘルム-ト・キュッヘンホフは1997年発表の論文で、チェリノブイリ事故のあと西ドイツ全体で周産期死亡率が有意に増加したと報告。

月々の死亡率を分析したところ、妊婦が放射性セシウムに被ばくしたあとの7ヶ月間は周産期死亡率がもっとも高くなったことが判明した62)。

著者らはこの原因として、汚染された餌を食べた畜産動物の肉が1986年~1987年の冬の市場で販売されたことと関係があると考えた

ノイヘルベルグの環境健康GSF研究センタ-のハ-ゲン・シェルブとエヴリ-ヌ・ヴァイゲルトは、1987年の西ドイツの周産期死亡が他の年と比べ5%有意に高くなっていることに気づいた63)。これは予想より300例多いということである。

著者らは、他の欧州の死産統計から推測すると、この数字はこれでも少なすぎるかもしれないと考えている。チェリノブイリ事故以来、南部ドイツでも周産期死亡が増加している。

1991年ミュンヘン環境研究所は、周産期死亡率が事故の影響を受けたのか、西ドイツの高濃度汚染地域とそうでない地域で調査研究を行なった。

その報告によれば、汚染度の高い南部ドイツでは早期新生児死亡率が1986年の初夏と1986年/1987年の冬の2度にわたって高くなっていた64)。

ケルブラインは、事故の影響で自然流産が増加したのかをみるため、出生率の推移を調べた65)。バイエルンの南部と北部で出生率が異なっていることを発見した。

高濃度に汚染された南部では北部に比べ、1987年2月の出生率が通常値に比し11%低下していた(p=0.0043、有意差あり)。その減少した出生数は615件であった。北部でも4%の低下がみられたが通常値と有意差はなかった(p=0.18

その他の国々

ケルブラインはウクライナのジト-ムィル地域で月ごとのデ-タを調査したところ、ポ-ランドと同様、1987年の始めに周産期死亡数が有意に増加していた66)。

シェルブとヴァイゲルトも、チェルノブイリの放射性降下物によって高濃度に汚染された周辺の国々および地域の死産率を調査した67)。 

彼らの分析によるとバイエルン州、東ドイツ、西ベルリン、デンマ-ク、アイスランド、ラトビア、ノルウェ-、ポ-ランド、スウェ-デン、ハンガリ-のデ-タを集約したところ、周産期死亡率は以下の如くであった。

1981年~1985年の死亡率のトレンド(推移)との比較では、1986年には4.6%(p=0.0022)増加し、1987年~1992年には8.8%(p=0.33E-6)

(訳注: p=0.33E-6の意味はもしかして、p=0.00000033か)

と非常に有意な増加がみられた。

このモデルによると1986年~1992年の7年間に約3200例の過剰死産(±1,300=2δ)があったということになる。まとめると、これらの国々ではこの時期に1年間に平均約460例の余分な死産があったということになる68-72)。

フィンランドはスカンジナビアの中でチェルノブイリ事故によってもっともひどく汚染された国である。フィンランドの調査ではセシウム137がもっとも高濃度に汚染された地域では、事故後の最初の4ヶ月間に妊娠したケ-スで早産が明らかに増加していた73)。

シェルブとヴァイゲルトは、アウヴィネンらが2001年2月に発表した統計をもとに、フィンランドでの死産数を調査した74)。この統計は、1977年から1992年までの調査デ-タで、一貫性があり利用するのに有益なものであった。

1977年からの死産の傾向を分析したところ、1987年に非常に大きな変換点があることがわかった(訳注:異常に増加していた、という意味である)

これは、フィンランドの死産数はスウェ-デンの約2倍、そしてハンガリ-の約2/3であったということである。

1976年から2006年にスウェ-デン、フィンランド、ノルウェ-の乳児死亡率を調査したところ、チェルノブイリ事故前の推移に比べ事故後に15.8%有意に増加した。

アルフレ-ト・ケルブライン は1987年から1992年の間に1209人(95%信頼度:875人-1556人)75)の乳児が余分に死亡(過剰死亡)したと計算した。

追記:流産と妊娠中絶

チェルノブイリ事故以来、流産と妊娠中絶は多くは黙って見過ごされた。しかしながらいくつかの不安な徴候があった:

1986年にポ-ランドでは正常出産がそれ以前の数年間に比べ、かなり少なかった76)77)。

・ 1987年にトリチョポウロスはチェルノブイリ事故後の妊娠中絶について報告した。彼はギリシャでは1986年5月、妊娠早期に23%が中絶したと推測した。全体として約2500人の待望の妊娠がチェルノブイリ事故のために中絶に至った78)。

・ ケッチャム資料はIAEA国際原子力機関のデ-タを引用して作られたが、それによると チェルノブイリ大惨事のため西ヨ-ロッパでは10万から20万の過剰な(通常よりも多い)中絶が行われたとされる79)。

・ チェルノブイリ地域では医師や女性たちによって多くの妊娠が堕胎の適応と判断され、事故に引き続いて数日から数週間は組織的に実施された。誰もこのことについては語りたがらず、私たちはこれらの堕胎について正確なデ-タを知ることはできない。

モ-ル博士はICRP放射線防護委員会とNRPB英国放射線防護局の長年のメンバ-であるが、チェルノブイリ事故以前に次のようなこと述べている。

『もっとも考慮すべきこと、それは、一般な価値判断では胎児の早期妊娠中絶は個人的にも社会的にもほとんど重要性を持たないということである』 80)。 

私たちの立場はモ-ル博士の考えとは相いれない。私たちにとって、胎児がぞっとするほど多く中絶されたこと、これも一つのチェルノブイリの犠牲とみなされるからである。

動物実験で放射線が突然変異を誘発することが発見され、それ以来ヒトにおいても放射線の遺伝的影響は繰り返し考察され、研究された。

それでもなおICRP(国際放射線防護委員会)の意見は催奇形性障害(死産、乳児死亡、重症奇形)が100mSVより少ない被ばく量では起こらないというものである。

1986年から1987年のドイツでは被ばく量はわずか0.2mSVであるので、ICRPによれば催奇形性障害は増加しないはずである。

一方 ドイツを含むヨ-ロッパ、チェルノブイリ地域3カ国では多くの調査がなされ、これらの科学者たちの見込みに反し、催奇形性障害が確実に増加した。

ケルブライン(2011)は 食物連鎖や土壌のセシウム汚染ストロンチウム汚染(影響が遅れて出る)、これらと周産期死亡の増加には明らかな容量/効果の関係があること(訳注:汚染度に比例して被害が増えるということ)を証明した81)。

さらにシェルブらは最近の研究(2010年)で、チェルノブイリ事故後に次のような遺伝的障害が発生していることを明らかにした。彼らは性差、言い換えると生まれた女児と男児の比率およびチェルノブイリ原子炉事故のため“生まれなかった出産”を調査した。

彼らの予想どおり、生まれた子どもたちは予想よりも約80万人も少ないがことがわかった。同様の現象が、スイスとドイツの31の核施設の近くでも起き、40年間に生まれた子どもたちは予想よりも15,000人少なかった。その中でも、特に、女児が少なかった82)。

(転載ここまで)


やはり乳幼児に関して、大きな影響・被害が出ていたことがわかります。また、セシウムよりもストロンチウムの方が後になって影響が出るということもわかりました。

乳児の死亡率も、事故前と事故後で有意に増加していたことが、上記からわかっています。それもチェルノブイリ近辺だけではなく、離れたドイツ南部でも。

やはりチェルノブイリは乳児に関しても、調査から影響が出ていることが確実であり、またICRPは100mSv以下は安全などとしてたのも、今とかぶります。

 
 


いのちか原発か
小出 裕章 中嶌 哲演
風媒社