続「すべて丸投げ」の脱却と、皆が気づかない洗脳電波

スポンサードリンク



コメント・メールくださった方々ありがとうございます、お返事の前の記事にて失礼します。といいつつやはりフィリピンに住んでフィリピン気質が身についてしまった自分、のんびり南国ペースじゃないけど、あまりアテにしないくらいでやっとちょうどよかったりするかもしれませんw 

前回記事の続きのような感じの今回。

情報的な記事というよりも個人の考え・感想的な記事になってしまったけれど、反響もいただいて嬉しかったです。だってやはり自殺増加とか過労死とか、おかしいじゃないですか。人間らしく生きるために、日本にいると気付けない、または気づきにくいことを再認識して、自己を確立していくことからのスタートだと思ってます。

ま、あくまで「私の考え」ということで見ていただければと。
(いろんな価値観がある中、これは「私の考え・価値観」という意味で)

前回に書いたような風潮の日本(これは自分だけならず皆さんもよくご存知のよう)においては、周りと違うカラーになるということは本当に難しいことだと思う。

「変わり者」になれれば楽ですけどね。「あの人は変わり者だから」で済むし。

幸い海外にいるとそういう人の目・周りなどを気にしなくていいので非常に楽。自分の行動・生活で精一杯で他人の動向などかまっちゃいられない。

もちろん手や声を上げれば、助け合う文化は存在する。けれど何も言わず、意志を表示せず、相手や周りが気づくことがなければ、何もしてくれない。

偶然ラッキーにも気づいてもらえたなら、手を差し伸べられるだろう。けれど、「黙っていても、気づいて悟ってくれて、手を差し伸べてくれる」といったような「向こうから与えられる」期待は機能しない。海外在住さんがよくご存知の通り。

決めるのも、動くのも、声を上げるのも、意志を示すのも、自分。

前回書いたような日本ならではの「周り・その他大勢に倣おうとする」というのがまさに表れてるような内容の質問が某海外在住者用の掲示板にあった。

『銀行に行ってAとBという種類の口座を勧められた。「どちらがいいのですか?」と行員に聞き返したら「お客様の好みの方を選んでください」と言われてしまった。皆さんはどうしてますか?』

という内容。一見、的を得た質問に見える。実際、日本人の人々がどちらを使ってるか尋ねることで、役に立つ側面もあることだろう。

が、それでも、海外感覚だと違和感がある。

アドバイスを問うことはあっても、「内容についてアドバイスを乞う」文面となるはず。「皆さん(その他大勢)がどうしてるのか?」とはならない。

「自分でその2つの口座の内容・特徴を吟味し、自分がベストと判断した方を選ぶ」

が本来。

そして銀行員に「どちらがいいのですか?」と聞き返してるのもそう。これも内容や特徴について聞き返すのはあるが、「どちらの口座がいいのか?」と、「自分で決める内容」を丸投げで問い返している。実際そう問い返されても困るだろう。「お客様のお好みで」としか言えないわけで。

日本人は、日本にどっぷりつかっている人ほど、自分単独で決めることができない。「皆がどうしてるのか」が気になる。一部の「変わり者」を除いたとして。

変わり者といえば日本では悪いイメージだけれど、自分は日本には「変わり者」こそ必要だと思っている。変わり者になれれば、周りのその他大勢に合わせる必要もないし、周りの動向に関係なく、自分が「そうであるべき」と思ったものを選べばいいだけなのだから。

「個人の尊重」。どうも日本では個人主義というと、すぐに「自己中心」「自分勝手」などのレッテルを貼られてしまう。

個人主義国の人々が自分勝手ですか?違いますよね。日本のような集団主義国でない国を個人主義国とするならば、個人主義においても、「助け合う」ということはちゃんと存在するわけで、そういった国々がたくさん、日本を助けてくれましたよね。

私は「個の自立あってこそ、他者に手を差し伸べることもできる」と考えています。他者を助けるためには、まず自分の立ち位置を確実なものにすることからだと。

まず自分を救い守ることは、自分勝手でも何でもない。共に溺れてる同士助け合おうとしても、共に溺れる。沖で船を出したり、浮き輪投げたりする人が必要なわけで。

今の日本は「共に溺れている」ように見えて仕方がない。「皆マスクしてないんだから」と、マスクをする人を非国民扱いしたりとか。給食拒否は受け付けないとか。

そしてもしそれを「皆してないし仕方ないよね」などといって、その他大勢・周りに合わせてしてるようじゃ、それこそが「共に溺れる」ことであり。

したい人・するべきと考えている人はすればいいし、したくない人・しなくてもいいと思っている人は、しなければいい。なぜ「個人の選択」という権利を奪うのか。

(子どもが絡む場合は「親が守る責任」があるので、また話は変わってくるが)

前回も書いたように、本来日本は素晴らしいものを持っているし、日本人であるということは本来とても誇れることであると私は思っています。

実際、日本の多くのものが素晴らしいですもん。食にしても、品質や技術にしても。

海外のものはすぐに壊れたりだめになったりするものも多い。英国で買った服なんかも日本で買ったものに比べ、短期間でだめになってしまう。

それでもそれが海外標準という中で暮らして慣れてしまい、日本レベルでアテにすることがなくなったからこそ、「日本は素晴らしいけれど、いきすぎ」という感覚が身についてしまったとも言える。アテにせず期待しなければ「まぁこんなものだ」と、自分から見た期待値が調節されるので不思議なもの。

日本で見られるよう「与えられることが当たり前」で、過剰に期待するからこそ、ますます要求が厳しくなり、モンスター化、ますます人権的にありえない過酷な労働なども生まれてしまう。しかもそれも、それに対する対価が払われないのに。

価格は激安、求めるものは高級店、ってどうよ。
ものは素晴らしくても、自殺や過労死が止まらない社会はだめですから。

「丸投げ」は、「与えられることが当たり前」の風潮からか

上で触れたように、日本的洗脳の1つとして見られるのが・・・

「他者外部にすべて丸投げ」

「人生の決断さえ他者に任せてしまう」ことを書いた前記事とかぶるのだけれど、自分でちょっと調べればわかることさえも、最初から他者に丸投げし依存してしまう。

原発事故後にある海外記事の翻訳などもそう。私は翻訳者でもなければ専門でもなく、仕事でも翻訳はしているものの、いわゆる専門の「翻訳家」ではない。

けれど海外在住だとか、またはこのブログで記事を翻訳していることもあってか、特にしばらく前「これを翻訳してくれませんか?」というお願いがたびたびきた。

原発事故関連なら協力したい気持ちは強く持っています。けれども中には、まったくの初対面でいきなり原文が送られてきたこともあった。「これ訳してください」と。

「ボランティアで翻訳してもらいたい文章があるけれど可能かどうか?」という「事前確認」が先にあるとかなら、まだ私はわかります。

私は翻訳家ではないですが、翻訳家の方々は、それに対する対価をチャージし仕事ととして引き受けています。そして外部委託するとわかるけど、けっこう高額。

だから、原文送りつけて「これ翻訳してください」は、明らかにルール、そしてマナー違反なんですね。

プログラミングに置き換えたらわかります。Webプログラマーに「こういうサイトになるよう設計して」って、いきなり初対面で送りつけてきませんよね?翻訳も同じ。

「魔法のようにすいすい訳せる」とでも思ってるのかもですが、プロであれ労力、そしてスキルに対する対価がかかります。また翻訳と一言に言っても、分野で全然違います。ITの翻訳と映画の翻訳が違うことは想像できるとおり。同じ翻訳でも分野が違うと専門外。ひとくくりにはできず。

と愚痴のようですみませんが&前置きが長くなりましたが、「初対面の人相手にさえ、丸投げして頼ってしまう」という行為に私は驚いています。

少しでも自分で努力した姿勢を見せるとか、自分でやってみて、どうしてもなところを「質問する」ならわかるし、歓迎です。が、そうではない「丸投げ」。

海外の人でも、原発事故など日本の動向が気になる人は、日本語のサイトをGoogle自動翻訳にかけて見る、なんてことも少なくありません。

Google自動翻訳もあるし、オンライン辞書もある。

まずは自分で調べてみましょうよ?

自分や自国に関わってくる内容ならなおさら。自分の身は自分で守るんですよ?

翻訳は、当たり前のごとく与えられて提供されるものではないのです。単に日本洗脳の中において、「常に与えられることが当たり前」になってしまってるだけ。

実際には使い物にならないとしても、日本では一応学校で英語が教えられています。

オンライン辞書をひくとか、それでもわからなければGoogle翻訳かけてみるとか、その上でわからない部分を質問するなど、まずは自分でできることがある。

やってみて、それで壁にぶつかったりしたなら、その時に手や声を上げればいいし、そうやって自分で必死に掴み取ろうとしてる方のことは、私も精一杯応援したい。

ただ、「丸投げ当たり前」「必要な情報はすべて誰かがやってくれ、誰かが与えてくれる」な、日本洗脳の中にいる人に、おんぶ抱っこで手を差し出そうと思わない。

それは「助ける」ではなくて「甘やかす」ですし。

本当の意味での「助ける」は、すべてを差し出すことではなく、「自分で然るべき道に行けるように方向を示すこと」だと思っています。

だから「方向」を示すべく、このような記事を書いています。

私の示したい方向というのは、すなわち・・・

「すべて必要なものは与えられる」という日本的洗脳から脱却し、「自分が必要なものは自分で掴み取る」「自分の身は自分で守る」

ということです。

これもやはり、日本が「他者外部依存文化」であることを象徴していると思うのです。それがなぜいけないのかの理由は前記事に書いています。

ちなみに私はドイツ語を訳したことも2回あります。1つは自分で、1つは頼まれて。ドイツ語は興味を持って学んだことはあるけど、ほぼまったくわかりません。

ただドイツ語→英語への翻訳だと文法的にも意味が大幅には変化しないことがわかるため、ドイツ語→英語に自動翻訳し、そこから手動翻訳しました。

ちなみにこちらが四苦八苦してドイツ語から英語に翻訳し、アップした動画。
音声は当然わからず、これの文章版をZDFサイトからなんとかゲットできました。

ドイツ語がほぼまったくわからない自分でも、調べてやったらできた。
字幕も自力で調べて学んでつけました。調べれば大概のことはわかるんです。

自分で、掴んでいこう!

「日本人は何でもかんでもすぐ丸投げで人に頼る」なんて言われないように。

日本での意外な洗脳信号

あと、これから書くことは多くの人が気づいていないかもしれません。が、私は日本でものすごく気になることの1つです。

日本(特に都会。自分の場合は東京)で街を歩いたり、電車に乗ったりすると、洗脳信号が発せられているという風に感じる。洗脳信号とは何か?それは・・・

「アナウンス」

アナウンス騒音がすごい。けれどこれも、そこで暮らしているとそれがおかしいことだと気づかない。常にアナウンスがある環境も、常に他から指示されることを無意識的に植え付けられてしまうのかもしれない、と思ったりする。

駅・電車・お店・宣伝カー・・・どこへ行ってもアナウンスだらけ。

アナウンス公害状態。

でも、誰も何も言わない。すなわち、それが普通になってしまってると。

これは、日本だけの独自の現象。

都心のJRにおいては、駅での音楽も。駅によっては、その旋律は、人の脳をかき乱す旋律だと言われているそう(だから人身事故が絶たないという話も)。

どこの駅か忘れたけれど、確かに異常行動を起こしてしまうのではないかとさえ思える旋律の音楽の駅があった(山手線だったか?)。音楽というより、騒音。

この「アナウンス」「駅での音楽(騒音)」は、海外に長く出て帰ってきた時の、私独自の感想だったのですが、同じ思いをしてる人がいるのでは、と検索。

そうしたらやはりありました。同じことを感じたのは自分だけではなかったこと。

大音量「バカ放送」で騒音性難聴の危険、救急車の10倍でも東京メトロは改善拒否

(数年前なので、メトロは今現在はどうかわかりません)

駅での「親切を装った」大音量のアナウンスは日本独特のものだ。

毎日の通勤で騒音公害にさらされ、ストレスを感じ続けてきた医師の著者が騒音計で実測したところ、救急車の10倍にもなる駅があった。

関東運輸局に苦情を伝えたところ、京王電鉄は音量を下げた。

騒音公害の苦情を無視しようとしたJR東日本だったが、大塚会長に直談判したら上野駅は翌日には改善。

日本人の後天性難聴は「騒音性難聴」によるものも多いと考えられるが、東京メトロだけは「現状を維持したい」と改善拒否を表明している。

私は主にツイッターなどでTV洗脳の危険について呟いたりしたことがありましたが、同時に思ってきたのが、発せられている洗脳はテレビからだけではなく、このアナウンスも一役買っているのだということ。上の引用記事にあるよう「バカ」「愚民」になるようにプログラムされてる気がして仕方ないです。

TVの害には気づいている人が多くとも、アナウンスの害に気づいている人は、かなり少数派のような気がする。それも、海外に長期で出た人など。

日本におけるアナウンス現象も、日本洗脳の1つだと思っています。
隣人の騒音は気にするのに、なぜ公共の場所のマニュアル騒音はスルーなのか。

都会の現象か?とも思ったものの、下記を見ると必ずしもそうでないようです。

山陽電車の車掌さんのアナウンスが騒音にしか聞こえない…苦痛です

山陽電車の車掌さんのアナウンスが騒音にしか聞こえない…苦痛です…

山陽電鉄のアナウンスがうるさくて、耐えれません。

結構なボリュームで、駅から駅まで車掌さんがしゃべり続けるんです…駅間、ずっとの場合も有ります。

出発のアナウンスの後、これからの停車駅を一個一個、紹介、その上、ご親切に停車予定時間も!通勤電車なのに、これ必要ですか?

続いて、山陽電鉄主催のハイキングの紹介を色々、節電の紹介(山陽電鉄では節電の為全車両を弱冷車にしております。また駅の電灯を一部、消灯しております。ご迷惑をおかけして申し訳ありません…等など)、車内での注意事項(不審な荷物が有れば触らずに乗務員に連絡してくださいとか、お年寄りに席をお譲り下さい、とか、ヘッドホンの音量を下げてとか、床に座りこまないで、とか)そして、終わるころに、「次は○○駅~○○駅~」で電車到着、

→また、はじめへ戻る。。。

この方の感覚は正常だと思います。

むしろそのようなアナウンスが当たり前だと無意識に受け取ってることの方が怖いです。アナウンスされれば無意識レベルで操作されてしまいそうで。

こんなのは日本だけ。不必要なことまで、なんでもかんでも、与えられ過ぎです。

 
 



スポンサードリンク

  • ●日本人だけど、日本のここが嫌い●163ヶ所目 | ギコ速 - 2chまとめブログ
    03/10/2016 at 17:35

    […] 29 :優しい名無しさん:2015/03/19(木) 21:39:34.22 ID:x5sAyL6N 外部他者依存から脱却、自分依存の生き方へ http://sekaitabi.com/codependence.html 続「すべて丸投げ」の脱却と、皆が気づかない洗脳電波 http://sekaitabi.com/marunage.html […]