「他人へ迷惑をかけてはいけない」の暴走と本来の姿



日本で信じられていることで、自分が「それは本当だろうか」と思うことがあります。

それは「他人に迷惑をかけてはいけない」という、日本にある観念。

確かに人を意図的に不快にさせる類の迷惑をかけてはいけないことは当然です。

たとえば明らかに静かにする場所でバカ騒ぎしたりとか、子どもがいたずらや悪さをしているのを見ていながら親が注意しないとか、そういう意図的な迷惑というのは別です。他人のことを思い遣るという観念においても、配慮という面で問題があります。

しかし、一生懸命に生きる上においての不可抗力的な迷惑というのは、人間であれば、誰だってかけてしまうものではないのでしょうか?

たとえば「子どもが泣く」といったことは、子どもならごく自然の現象です。親がちゃんとあやしたりなどしている以上、それを「迷惑をかけるな」とするのは、見当違いなこと。

日本では「他人に迷惑をかけてはいけない」ですが、聞いた話、インドではこう言うそうですね。

「人間は人様に迷惑をかけなければ生きていけないのだから、あなたも人様に寛容になり優しくしなさい」と。

子どもが泣くなどの不可抗力的なことを「迷惑」とするのではなく、子どもが静まるように一緒にあやしてあげたり、声をかけてあげたり、手を貸してあげたらよいのです。

日本には「他人に迷惑をかけてはいけない」があるからこそ、自分が迷惑をかけまいとし、他人に迷惑をかけることを申し訳なく思い、そして逆に他人からの迷惑を疎ましく思う。

よって、また別の日本独特の現象として、場所を取るベビーカーでの乗車を「迷惑」と感じ疎ましく思う。子育てをする上で必要なことでさえも「他人に迷惑をかけてはいけない」となる。極端な話、自然な子育てができない社会になっていく。

そして「他人に迷惑をかけてはいけない」があるために、声を上げ、周りに助けを求めることもなく、自らの命さえも犠牲にしてしまう。

ここ豪では連日、ホームレスの人々が「手を貸してください」と道端で声を上げています。そしてそんな彼らに施しをする人がいます。お金だけでなく、優しく声をかける人も。

生きる上で必要な状況や、または窮地に陥った時には、声を上げ、助けを求めればいいんです。人間としての当然の権利ならば、堂々と主張すればいいのです。

その人間的な行為を日本では「迷惑」と定義されるのであれば、かければいいんです。そして助けていただいたら、自分もまた余裕が持てた時に他の人を助け、それを外へ還元させていく。

日本で言う「迷惑」の中には、大した迷惑でもなんでもなく、単に「自分のペースが乱される」程度のことも多く含まれてます。「それくらいのこと」というレベルのことさえ寛容できない、息苦しい社会が出来上がってきてるのを思います。

凍り固まった日本人の心をほぐして日本社会を寛容にするための、いい意味での迷惑ならば、遠慮せずかけるべきでしょうし、またそれを寛容な心で受け入れるべきでしょう。

繰り返しになりますが、もちろん傲慢な姿勢や態度、意図的に相手を不快にさせようとする類の迷惑はNGですが、人間の摂理において不可抗力的なことで、謙虚さと感謝で相手や周りを敬う事が前提ならば、その「いい意味での迷惑」は認められ受け入れられるべきだと思います。

なぜなら、人生の中で、自分も誰かに何らかの形で助けられる時があるからです。それは巡り巡っていくものだと思います。

それが人間らしい在り方ではないでしょうか。その観念をなくしかけている日本は、逆の方向へ向かってる気がしてなりません。すなわち、人間らしくない社会。

ベビーカーマーク「若い母親甘やかし過ぎ」と年配女性が苦情

国土交通省が「ベビーカーマーク」を公表し、電車やバスの中でベビーカーを折り畳まなくてもよいとしたことに、一部で反発の声があがっている。こうしたベビーカーに対する“批判の急先鋒”になっているのは、実は先輩ママ、つまり中高年のおばさんたちである。
 
 折り畳み式ベビーカーが普及したのは約30年前から。それ以前に子育てをしていた60代前後のおばさま世代は、もっぱらおんぶや抱っこで外出していた。そのせいか、ベビーカーマークを公表した国交省への苦情も、年輩女性からのものが少なくないという。
 
「若い母親を甘やかし過ぎだという女性からのお叱りがほとんどです。“私たちの時代は苦労した”と子育ての大変さが滲み出ていました」(安心生活政策課)
 
 ただ「抱っこしろ」という意見の裏には、「ベビーカーのおかげで出歩きやすくなり、子育て中といえども着飾っている若いママたちへのやっかみ」があるのではないかという、現役母親世代の意見もある。
 
 乳児の予防接種で朝から混雑した電車に乗らざるを得なかったという40代会社員の母親は、こう反論する。
 
「首がすわり始めたばかりの乳児を抱えながら、ベビーカーを畳んで必死に乗り込んだ。片手にベビーカーを持ち、子供を抱え上げて踏ん張って立っているのに、前に座ったおばさんは知らん顔。さらには私のヒール靴を見て舌打ち。この後会社に行くから仕方ないのに、思いやりなんてありゃしない。こんな人たちに何だかんだといわれるのが腹立たしい」
 
 派遣社員として働く30代の母親も頷く。
 
「この国は少子化だと騒ぎながら、子供を産むと本当に育てづらい。それに注意してくるのは、なぜか大体が女性。こちらは十分注意しているのに、“今のママは楽でいいこと。昔はこうだった、ああだった”って話ばかり。あんたの時代とは違うし、手伝ってくれる人もいなくて今だって十分大変なんだって、(喉元を指さして)ここまで出かかりましたよ(苦笑)」

嫉妬やイジメ体質から来ているものだったり、「私だっていたぶられたんだから、人に不快な思いさせないで、アンタも同じ思いをしなさい」という、いわゆる嫁いびりの類とも言えるでしょう。

「他人に迷惑をかけるな」(=自分を不快にさせるな)が根源にあることで、自分のキャパシティの範囲から外れる存在が許せない典型だと思います。

再々度の繰り返しになりますが、もちろん親が責任を果たすことは大前提です。子どもが悪さをしてるのに叱らないとかは論外です。ここでは、周りに配慮しながら一生懸命子育てしている方のことを指しています。

私は、「人間は人様に迷惑をかけなければ生きていけないのだから、あなたも人様に寛容になり優しくしなさい」という考え方を支持したいと思います。

「皆お互い様なんだから気にしないでくださいね」

こういう心遣いが循環する、寛容な社会であって欲しいと願います。

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  • 電気イルカ
    06/13/2015 at 18:52

    線引きが難しい問題だが、例えば車を運転することによって、交通事故に遭うかもしれない恐怖を与えている歩行者への迷惑はどうなるんだろうか?車を運転しないと生きていけないわけではないし、不可抗力とは言えないと思うのだが。車を運転することは、誰もがやっていることだから、それを持ち出して「他人に迷惑をかけるからダメ」という人は少ないだろうし、それに正当性があっても、数で押し切られてしまうでしょうけどね。車を運転する理由は、自分の生活の利便性を向上させる。つまり、自分の希望を押し通す。ただ、それだけであり、世間一般で非難されている迷惑と大差ないどころか、命がかかわる問題だからより深刻だと思うが。