「おもてなし」という押し付けが生む窮屈と生産性の低下



私がしばらく海外生活をした後に日本に帰ってきて気がついたことが多数ありますが、その中で私が気がついたことの1つは、日本で美徳とされている「おもてなし」は、実は単なる「押し付け」と化している、ということでした。

私自身は「おもてなし精神が強い」と感じるところほど、「本当には欲していない余計なものが提供されている」と感じることが多いのです。こちらの記事にも書いたのですが、「やめて欲しい」というまで「おもてなし」として引き下がらなかったり。

日本人で私の他にも、旅館で同じ思いをした人もいるようです。

第125回   高級旅館のもてなし

いただいた旅行券の期限がもうすぐ切れるとわかり、自腹では絶対に利用しない(利用できない?)高名な高級旅館を予約した。

さて、海辺の近くの宿についてからが大変。

車を駐車場につけたとたんに揃いの着物の中年女性と、女将らしい貫禄のある女性がお出迎え。

中年女性は夫とわたしが持っているバッグを「お持ちいたします」と、手からもぎ取ろうとし、「いえ結構です」とこちらは手を引き寄せる。

あちらは小柄でしかも着物姿、こちらは背が高くガッチリ型の見た目は強そうな男性がいるというのに、か弱い彼女らに荷物を持たせることは心情的に出来ない。

それからが<大変の二次会、三次会>の始まり。

「お茶をお持ちしました」に始まり、食事のサービスから布団を敷くまで、なにやかやと着物の女性が出たり入ったりして、そのたびにお礼を言い、心づけを渡し、次はいつ来るのかと、一時も気が休まらない。

夫の表情が、だんだん癇癪モードになってきた。

「オレたちはのんびりしに来たんだろ? これはどういうことなんだ!」
「ほんと、なんだか落ち着かなくて、かえって疲れちゃう」

名旅館の名にふさわしく、見事な掛け軸やさりげない一輪挿しの風情は心に響くものがあったが、せっかくのもてなしが過剰な押し付けがましさに吹き消されてしまった。

翌日、「朝食のご用意をさせていただきます」と、いきなり朝7時に叩き起こされ、蒲団をまくりあげて片付けられた。

早起きが苦手な夫は、昨夜のビール顔のように赤くなって怒った。

「オレたちはゆっくりくつろぎたくてわざわざ来たんだ。なんで旅館の都合に合わせて叩き起こされるんだ」

「ホント、おかしいわね。お客の都合に合わせるのが本当のサービスというものでしょう?旅館の都合に合わせてこんなに早く布団をあげるなんて聞いたことがないわ」

しかし、そのような横暴な旅館が高級名旅館として、高級旅館専門のカタログに掲載されている。

高級旅館はやはり苦手でわたしにはあわないと思ったけれど、メディアの特集ではこのような旅館が相変わらず人気があるようです。

日本の「おもてなし」賛美の勘違い 「ガラパゴス」だし自由度がない

朝のチェックアウトは10時。まだ眠たいままで旅館を後にしないといけない。食事は、部屋出しのところもあるが、大部屋が食べることもある。しかも何時から何時という幅ではなく、6時半といったスタート時間が決まっていることもある。

メニューは選択肢がなく決まったセットコースだけ。選べるのはお酒の種類くらいだが、それもビールに日本酒が数種類。ワインにいたってはほとんど種類がない。

それから、そもそもの話、レストランが1軒しかない。普通ホテルには2つか3つのレストランがある。

辟易するのは、朝食の間に勝手に布団が片付けられていることだ。部屋に帰って一眠りしようと思っても、片付けられてしまっていて、座布団に寝るしか無い。

日本が誇るおもてなしどころか、どローカルの、ガラパゴスな珍妙なサービスでしかないではないか。これでは、日本人以外のひとは間違いなく戸惑ってしまう。

「日本は難しい」と。

日本のおもてなしは、自由度がない。

たしかにそのおもてなしのフォーマットを知っていて、それに合わせて受け身になれば、丁寧なサービスを受けられるのかもしれないが、フォーマットを知らないひとや、フォーマット以外のことがしたいひとにとっては、とても窮屈に感じるだろう。

たしかに、セットされたものの完成度は折り紙つきなのだろうが、フォーマットをしらなければ楽しめない。

以上は旅館の例ですが、たとえばカフェで「店内で飲む」と言ってるのに「コーヒーはマグカップでよろしいですか?紙カップにいたしますか?」「ご一緒にデザートもいかがですか?」といちいち聞いてくるのもそう。

カフェをよく使う私にとっては毎回のことで、しかもそれがすべてマニュアル対応に沿って決まった機械的な決まり文句であるゆえに、本当にうっとおしいのです。(機械文句ではなく人間らしい自発的な自然な会話で話しかけられるなら歓迎です)

店内で飲むのに紙カップであることが必要なら、こちらからあらかじめそうお願いすればいい話だし、コーヒーと一緒に何か食べたいならこちらが注文すればいい話。

普通にマグカップで出してくれれば、デザート云々と聞かなければ、いちいち返答する余計な面倒がかかりません。「そんなことにまで答えなければならない」実情は、一見「おもてなし」のように見えて「余計な面倒」を与えており、真にお客のことを考えてるとは思えません。

機械的文言の丁寧さで「おもてなし」と言いつつ、そこに日本語ができない外国人が来ると、あくまでもその機械的文言の日本語でそのまんま対応する例も非常によく見られます。

英語がわからないならわからないなりに、身振り手振り交えるとかもできるところを、日本語のわからない相手にも機械的文言の日本語のまま。

別の例では、千円台〜2千円くらいのものをカードで買う時に「お支払い回数はいかがいたしますか?」と聞いてくるのもそう。ひと目で分割して支払うような大きな金額ではないとわかるのに、お決まりの機械的文言。うっとおしいのです。

その金額でいちいち尋ねる必要はないし、もし少額でも分割にしたい人がいるなら、お客側から払う時にそう言えばいいのです。現実にはその金額を分割にしたい人は圧倒的少数であり、そのために多くの人に機械的文言で不便をかけられます。

個人に考えさせない日本の教育の賜物なのでしょう。

そもそも、時給800円台程度のお給料で、そこまであれこれと重箱の隅をつつくように聞いてくる必要はまったくないと思っています。低給なのにあれこれと過剰過ぎ。サービスを収益化できていない生産性の低さも指摘されています。

「おもてなし」が原因?日本の飲食・宿泊業の生産性、米国の4分の1 客の要求水準高く

複数の海外メディアが日本の生産性ついて論評している。ブルームバーグは「おもてなし」の精神が生産性の足かせになっているという主張を行っている。

「おもてなし」には時間も努力も必要ながら、日本ではその高いサービスに対して、客が対価を支払うことも、サービス従事者がそれを受け取ることもよしとしない文化がある。

つまり高いサービスに対して経済的な還元性が低い、ということであり、実際、レストランやホテルでの生産性がアメリカの26.5%とかなり低い数字として出ている。

また世界の先進国では、室内禁煙が常識です。途上国でさえ室内禁煙の所が多いです。

ところが日本に来ると、いきなり煙モクモク…のところがまだたくさんあります。カフェなどは完全に仕切られた分煙も増えましたが、喫煙室のドアが開くとモワッと匂います。

東京はだいぶよくなってきてますが、名古屋駅など全面喫煙可の喫茶店がいくつもあり、駅構内なのにと驚きました。島根や大分でも同じ経験、受動喫煙問題は西日本はなお酷いです。

これで「外国人におもてなし」は無理でしょう。おもてなしどころか、世界の非常識を強要することで「苦痛」を与えています。

外国人観光客が相手なら特にですが、本来のホスピタリティ(サービス)を提供するならば、顧客の需要に耳を傾けることが必須でしょう。

そして本来のホスピタリティは「選択肢から選択してもらう」「選択肢がなければ、可能な範囲でフレキシブルに対応する」ことであり、そしてより良いサービスにはサービスに対してのお金を払うもの。

が、日本では「言われなくても察する」のコンセプトの元、サービス的なものは無償で提供されるものの「良かれと思ったこと」を、「相手も喜ぶだろう」と一方的に押し付ける性質のものになってしまっています。ピントがずれている。

まさか公衆wifiがないとは知らずに来る人も、室内禁煙ではないことを知らずに苦痛を味わう外国人観光客もいることでしょう。

「おもてなし」と言うならば、「世界標準と同じく室内禁煙にする」「いつも同じパターンの余計な機械文句はいらないから、基本的なサービスをしてくれる」、が先にくるべきであり、苦痛や面倒を与えられることは「押し付け」でしかありません。

普通に考えても、各国と比較した上で改善点も多くある中、「日本は素晴らしい」と定義して「改善点を改める」という視点に欠けてしまえば、「良く変える」こともできなくなります。

「日本が素晴らしいかどうか」というのは、外国人観光客など外から来た人が決める(印象を持つ)ことであり、当事者が勝手に定義して「素晴らしい」と決めつける類のものではありません。

いくら自分で「俺は素敵でかっこいい男だ」と定義したところで、その男性を見ている人が「かっこいい・素敵」と思ってなかったり、「ちょっと遠慮したい」と思っていたら、素敵でかっこいい男性ということにはなりませんから。

「おもてなし」と自画自賛する前に、「それは本当に相手が喜ぶことなのかどうか」「不便や苦痛を与えていないかどうか」を考え、改善点を改めることが先決だと思っています。
 

Now boastful Japan not really in tune with what visitors want, foreign expert warns

omotenashi

以下引用:途中一部中略/英語原文はここでは省略していますが上記リンクで見られます。

日本の「おもてなし」(こちらが何もリクエスト等しなくとも提供側から自発的にサービスする精神)は、多くの場面において、日本の人々が期待するような日本の文化を強制させられることがある、と長期に渡り日本の文化を観察してきている外国人は言います。

文化的事業の専門家であるデイビット・アトキンソン氏(49)は、日本が自信を持ってすすめているものは、世界には違ったものを提供してしまうー多くの訪れた外国人が不満を抱えてしまっていることを指摘しています。

「元々、おもてなしとは顧客に選択肢を与えることであり、価値観や好みの違う外国人に日本人が求めるものの提供を強制する行為ではない」と彼は言います。

アトキンソン氏は、現実としては、日本は外国人観光客を満足させることができるレベルにはほど遠いと指摘しています。

日本の「おもてなし」よりも優先すべき事項は、日本が持つ文化的財産が何を意味するのかの説明や、英語ネイティブにちゃんと監修された英語表示を導入することや、外国人の生活スタイルに合う土産の生産だと彼はしています。多くの土産の食は、たとえば外国人が食するにはとても小さすぎるなどの問題があります。

外国人観光客は、日本でたびたび「すごいすごい」とされている、たとえば治安の良さや清潔な通りや時間に正確な交通機関に対してはそれほど価値を見い出すことができません。

上記のようなことはもしかしたら一度や二度は興味を持たれるかもしれないけれど、それを見たいが理由で観光客が戻ってくることはありません。

彼は「もし日本側が外国人とコラボレーションして、外国人らが何というかにもっと耳を傾けるのであれば、日本はもっと魅力的になる可能性を大きく秘めている」としています。

(引用ここまで)

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