海外4ヶ国に住んで自分が変わったと思う点・その1



こんにちはJunnaです。久々のブログ更新。マレーシアであまりに多忙や疲労や体調不良が続き、まったく更新できませんでした。今日は調子がいいので久々に書いてみようと思います(`・ω・´)

私は飛び飛びで述べ10年近く海外に住んだわけですが、ツイッターで多くの日本人に共通する考え方を見ていると、「かつては自分も『あちら側の世界』に片足浸かっていたんだな思うことが多々あります。

日本で繰り広げられている異常な『あちら側の世界』

『あちら側』とは、たとえば、、、

小室さんの件を叩くメディアそして民、介護に苦しむ者を悪者と言わんばかりに叩き、けしからんと民の側がまるで自分が権力者になったかのよう小室さんを叩いたり。

子宮頸がんワクチン副反応被害に苦しむ少女や親御さんの悲痛な叫びを「別の被害」「心因性」などと被害者をさらに叩き、懸念の声をあげるものを「非国民」かのよう、ワクチン利権で儲かる医師やメディアがあげつらい、民の側までもがワクチン脳などといって自分がまるで自分が権力者になったかのよう被害者や懸念の声を上げる人を叩いたり。

ベッキーをTVの目の前で暴力的な行為をして笑う行為(否定されようともこれは全世界的に見て暴力的行為)が平然とされ、民の側もそれを異常なことと思わずにベッキーが喜んでるじゃないかと暴力的行為を正当化・肯定していたり。

他にもいろいろあって目にしてきたけれどたくさんありすぎて忘れたけれど、、、

ああいう異常なことがまかり通ってる世界にいたんだなとしみじみ思うことです。



その1・『外側から見ている』という感覚で日本のことを眺められるように

これが一番大きいだろうなと思うのが・・・

『あちら側の世界』から抜け出し、『外にいる』『外側から見ている』という感覚で日本のことを眺められるようになった

ことじゃないかなと。

海外在住者が日本のことを述べたりすると「高みの見物」「出羽守」などと言って揶揄されることがある。

自分自身も当事者として見ていて思うのは、「高みから見物している」という意識のある人はほとんどいない。まれに優越感で見下してる人かもと思うことはあれど、彼らは

違う環境に置かれた状態から率直に見える光景を口にしているだけ

だと思うのです。少数の例外を除いては「見下してやろう」なんて思ってる様子は感じない。海外に住むという経験がない視点だとそれが理解できないのか、どうしても外から見下してるとかそういう感覚になってしまう人がいるよう。

ネットで世界は繋がっているので、ネットを通して日本の情報や様子は目の前に飛び込んでくる。

けれどひとたびネットを離れると、目の前に繰り広げられているのは、日本とはまったく違う光景であったり、慣習であったり、反応や受け止め方であったりするわけです。

そのギャップから、率直に言葉が出て来てしまうんだと思う。

それがたまたま、日本ならではの素晴らしい点であったり、日本だからこそ苦しんでいる現実だったり。

自分がいる国、環境が良いと思えば日本の悪い点は当然目につくし、逆も然り。

感情的に「高みの見物」だとか「出羽守」等と反応してしまう人は放っておくとして、「外からの視点」はやはり重要だと思うんですね。

というのはやはり同じ日本の光景を見ている位置からは「外からの視点」なかなか得られにくいと思うのです。

長くなるので「その2」を近日中に公開し続きます✏