変化を望まず、変化する他者に矛先を向けて攻撃する心理




前にも書きましたが私管理人は少し前に引っ越しました。私は海外に出るので、正確には夫の住居の引っ越しなのですが…。出発するまでは私も一緒に新居にいます。地域的には、東日本圏から西日本圏に引っ越したこととなります。

この街の住環境がかなり気に入ってしまいました。かなり快適で、居心地が良くて・・・あんなに日本いやいや病だったのに、しばらく日本にいてもいいと思えるようになりました。新しい場所はそのくらい快適です。

自分の精神面でも、以前は苦痛で苦痛で体調までおかしくなって、ここにいたら気が狂うと思っていましたが、それらもふっとんでしまいました。

日本ならではの息苦しさはどこであれ、程度の差こそあれやはり存在するわけですが、それ以前に自分が身を置いていた環境が、ガチガチでとても息苦しく、自分に合ってない環境だということをはっきり自覚できました。

具体的な良い点などはまた書こうと思いますが、この快適さを手にして思ったことがあります。

それまでの安定や心地良さが手放せず、行動が必要と思っててもできない(実は望んでない)心理がわかった気がしたのです。汚染からの避難を含め。

「避難が必要なのはわかるけれど、私はここが合っていて、ここにいて幸せなので避難はしません」というスタンスであるならば、子供が絡まない限りは自立した大人の意志の1つの選択ですし、十分理解できるのです。(子供が絡む場合は子供の保護養育責任があるので別)

問題は、それを自分で自認できない場合ですね…。

自分の選択を正当化するために、人の選択に口を出したり、海外は危ないだとか、どこにいても一緒だとか言い出すパターン。

逆に言えば、そういうことを言ってくる人には「自分の選択が認められるべき」「そうでない他者は目障り」「自分と同じにするべきだ」という承認欲求が根底にあり、他者との境界線がきっちり引けていないのだと思います。

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なぜそのような承認欲求があるかというと、自分で自分のことを満たすことができていないから。他者によって満たされないと自分を満たすことができない。その他者が、自分が望む在り方と違うことを発してくるものだから、拒否反応を起こす。

だから一見居心地がいい・安定しているように見えて、無意識的に自分のその快適な空間が脅かされていることを感じ取っており、それを排除したい心理。

自己が確立していて他者との境界線がきっちり引けている人ならば、自分の選択は自分の選択で尊重しながらも、他者の選択も他者の選択として尊重できるはずだからです。「私は自分の幸せのためにこれを選択するけれど、あなたはあなたが正しいと思った選択のためにを頑張って」と。

今の日本では、そのような「利他思想」を持てる人が少ないのを思います。やはり「他者との境界線」どころか「皆同じであるべき」という全体主義に乗っかって動いている。その皆同じ全体主義に乗っている自分の正当性が脅かされるから、他者に牙をむく。

実際に、他者の選択に対して自分の勝手な思い込みで「上から目線」「自分さえ良ければいいのか」「自分ができるからといって自慢」「非国民」等々、ツイッター等を見ていてもそんな発言が溢れています。

なぜ人の幸せを喜べないのだろう?と…。自分にとって目障りな言動や存在は否定する傾向が高い。現実社会でもありますが、匿名性の高いツイッター等ではその特徴が特に謙虚です。

私は今の日本を非常に危惧しており、それが主な理由で海外に出ます。それだけが理由ではなく、自分の人生経験のため修行のため、視野を拡げるため、新しい世界を見るため、生き抜いていくためという理由も含みます。

しかし、自分がもし何らかの特別な事情で日本に戻って来なければならずに日本に住むことになっても、それはあくまで「自分の選択・事情」によるもの。実際、親が要介護等になれば帰ることは現実的です。今は幸い元気ですが…。

その他大勢の他者がどうしようと、こぞって海外に行こうと、何を発言しようと、それは他人の選択や行動に過ぎず、自分は自分なので、他者に矛先を向けるような行為は愚かとしか思いません。