こんにちは、Junnaです。過去記事の続き「海外4ヶ国に住んで自分が変わったと思う点」、その3です。

過去を振り返って、当時と比べると、
他人の様子がどうでもよくなった・比較しなくなった
ことを思います。
日本どっぷりだった時の自分は、他人と比べること・他人と比べて落ち込む、ということがよくありました。
厳密には、今もそれがまったくないわけではないです。しんどい時など、良く見える他人様と比べて自分の不甲斐なさに落ち込むこともありました。優雅に過ごしている他人様を見て、なぜ自分はこんなに馬車馬のように苦労してるのだろう、と。
が、基本的には、「自分の先を変えるのは自分」と思えるようになりました。ここまで来るのに長い時間がかかりましたが…。
そして羨ましく思うからこそ、「私も見習ってそれを実現したい」と考えられるようになり、ロールモデルや目標にして実践していくことが増えたと思います。
無意識的に「皆と同じであることが美徳」を刷り込まれている日本文化
日本では、その他大勢と同じあるべきという刷り込みが無意識のうちに自分にされていたのだろうと思います。
特に、「自分だけがその他大勢と違う」ということに敏感だったと思います。その他大勢と同じことをすることで安心いていたフシが。
また社会的にも、他人・その他大勢に同化させること、統一させる見解や公認的な確証も求められるし、また自らもそれを求めてしまう風潮が。
また決断など大事なことを外部に委ねることができる環境にて、「人の顔色を見る」「まず他者の反応や様子をうかがう」ことが先に来て、自分が率先して責任を持って決断をするような行為を避けてしまうことも多かったかなと。
それが、徐々になくなりました。
自分が自分であれば、自分が他人とどう違おうと大きな問題ではない、といったことに気がつけたのは大きいです。そんなことよりも他に解決なければいけない問題やタスクがいっぱい。
自分次第で、他者とのしっかりした境界線が持てる海外生活
海外に住んでみたら、他者と自分を同化させる行為をする必要がなくなり、過度に外部への確証を求めることもなくなります。
その代わりに自己判断と自己責任による決断をする(またはそれを強いられる)感覚を大きく体得してきた感じがします。
ツイッターなんかを見てても、芸能人やその他、割と他人の話題でもちきりだけど、自分にはどうでもいい。政治関連であれば自分が有権者として関心を持つのは大事としても。
誰にどう見られるか・どう思われるか、そういったことへの関心がなくなりました。
というわけでまとめると、「海外4ヶ国に住んで自分が変わったと思う点」その2は
他人の様子がどうでもよくなった・比較しなくなった
自分がどうなりたいのか、そのために今何をすべきか。今後もそこに焦点を当てて、今の自分にできることを一生懸命にやっていきたいです。